ロナルド・レーガン元大統領の最新伝記本で、レーガンの恐妻家っぷり、妻ナンシーの子供達に対する虐待などが暴露されている…という芸能ニュース。
親ガチャシリーズ。
さて本日9月10日出版のマックス・ブート著、『Reagan: His Life and His Legend』(レーガン: ヒズ・ライフ・アンド・ヒズ・レジェンド)。
直訳すると『レーガン: 彼の人生と伝説』となり、題名の通り、アメリカ第40代大統領のロナルド・レーガン氏の生涯を紹介した伝記本であります。
政治コラムニストであるマックス・ブーストが、10年以上をかけて書き上げた伝記本だそうです。
その中で明かされた、レーガンの2番目の妻、ナンシー・レーガンの毒親っぷりと、ナンシー夫人の尻に敷かれるレーガンの恐妻家っぷり、レーガン家の親ガチャっぷりが話題となっております。
長くなるのと、登場人物が多かったので過剰書きにしてみました。
その前にロナルド・レーガンの家族構成を簡単に…↓
元俳優のロナルド・レーガン(享年93歳。直接の死因は肺炎。晩年はアルツハイマーと闘病)の最初の結婚相手は女優のジェーン・ワイマン。
レーガンとジェーンの間には長女モーリーンと、養子のマイケルという2人のお子。
ジェーンと離婚したレーガン2番目の結婚相手(再婚)は女優ナンシー・デイヴィス。
ナンシー夫人との間には、娘パトリシアと息子ロンという2人のお子。
ここからが今回の伝記本(と言う名の暴露本)に綴られている内容の一部となります↓
(意味をくみ取り意訳しました)
・レーガンは妻ナンシーに対する忠誠心が強く、子供たちのことはないがしろにしていた
・家庭内の躾においては、レーガンは常にナンシー夫人の肩を持ち、子供達の味方をすることはなかった
・ナンシー夫人は、子供たちの躾や問題行動でどれだけ自分が苦労しているかを、自分にとって都合よく夫に訴えるような人だった
・仕事で家を空けることが多かったレーガンは、留守中に家で起きた揉め事などは、子供たちの話・意見を聞かず、ナンシー夫人の主張を全て信じて受け入れていた
・例えば、養子のマイケルがレーガンに事実を説明しようとしても、レーガンは「お母さん(ナンシー夫人)からもう話を聞いたから、お前の話を聞く必要はない。悪いのはお前だ。お母さんの言うことが正しい」と言うような父親だった
・レーガン自身も、とても気の強い母親に育てられていることから、女性からああしろ・こうしろと言われることに慣れており、ナンシー夫人の一方的な主張を従順に受け入れるような夫だった
・ナンシー夫人との間に、帝王切開で生まれた娘パトリシアの誕生について、レーガンは自身の日記に「さほど嬉しくない」と綴っていた
・6年後、同じく帝王切開で生まれた息子ロンの誕生についても、レーガンは日記内で「個人的には、3人家族(自身とナンシー夫人と娘パトリシア)で良かったのだが」と綴り、息子の誕生も喜んでいなかったことが伺える
・娘パトリシアは8歳の頃から、母ナンシーによる肉体的虐待(主に叩く)を受けるようになっていた
・肉体的虐待は毎週の時もあれば、毎日だった時もある
(後にパトリシアはレーガン姓を削除しております)
・ナンシーのヒステリックな性格は子供達だけに向けられたものではなく、時として雇われの家政婦たちにも向けられていた
・例えば家政婦が間違った皿を洗えば、その家政婦をナンシー夫人は罵倒し、娘パトリシアは母の怒鳴り声が聞こえないように、歌を歌ったりして気を紛らわせていた
・ナンシー夫人の不安定な精神面は、セコナール(セコバルビタール、主に睡眠薬)やミルタウン(メプロバメート、精神安定剤として使われていたトランキライザー)などの服用でも収まることはなかった
・息子ロンは母ナンシーのことを「肉体的な虐待は受けなかったがとても気難しい人で、母からは感情的・精神的な虐待を受けていた」と言及
・ナンシー夫人と、レーガンの最初の妻ジェーンはお互いに嫌悪感を抱いていて折り合いが悪く、家庭内でジェーンの名前を出すことは禁止されていた
・レーガンとナンシーの娘パトリシアが、腹違いの姉モーリーンと、養子のマイケルの存在を知ったのは自身が7歳の時だった
・その時14歳だったマイケルは、養母のジェーン(レーガンの最初の妻)と折り合いが悪く、レーガンとナンシー夫人の家で一緒に暮らすことになった
・最初こそナンシー夫人はマイケルの面倒を見たものの、すぐにカトリックの寮制の学校へマイケルを送った
(マイケルはこのカトリックの学校を嫌っていた)
・マイケルが週末や学校の休みなどで家に戻る時もマイケルの部屋はなく、ソファーで寝起きしていた
・ナンシー夫人の提案でベッドルームが増設された時、マイケルは遂に自分の部屋が貰えるのかと思い喜んだのも束の間、その部屋はナンシーの息子ロンの看護師に与えられた
・自分は必要とされていないと傷ついた10代のマイケルが問題行動を起こし始めると、ナンシー夫人は「レーガンの名にふさわしくないから家を出ていけ」と言い放った
(ナンシー夫人は後に自叙伝にて、養子のマイケルとは特に折り合いが悪かったことを暴露しており、マイケルのことを「殺したいと思うほどの時期もあった」とまで述べています)
・レーガンとジェーンの娘モーリーン(2001年に60歳の若さで死去)によれば、1981年のレーガン大統領の暗殺未遂の際にレーガンが病院に運ばれた際も、ナンシー夫人がモーリーンとマイケルに、「あなたたちは家族ではない」と伝言を送り、2人は病院に駆けつけることができなかった
などなどなど…
実の娘パトリシアも「母は策略家で、社会的地位にこだわる高飛車な人間」と言っていましたし、実子・連れ子・養子の全員がナンシーについてネガティブな発言をしているくらいなので、母親には不向きな人物だったことは間違いなさそうです。
世間からは批判的な声と共に、レーガンやナンシーが子育てをしていた1950年や1960年代前までのアメリカでは、親からの子共に対する体罰や厳しい躾は普通だった、と言った声も多くありました。
日本も同じですよねきっと。
昭和の時代には子供が悪いことをして、「言って分からないのなら」と手を出す親や、学校の先生も多かったのではないでしょうか。
それが良いとは言いませんし、ナンシー夫人の冷酷さと、妻の肩ばかり持ち、妻のご機嫌ばかりうかがっているロナルド・レーガン自身にも、なんだかなぁ…ですよね。
レーガン世代ではないのですが、本を全部読んでみたくなりました。
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