伝説のパイプライナー(サーファー)で、多数の映画やCMにも出演した経歴を持つタマヨ・ペリー氏がサメに襲われ、お亡くなりになったという悲報。
私くし中坊の時にサーフィンを始めた過去がありまして、サーフィンネタが懐かしかったので、レジェンドサーファーの悲報を取り上げてみた本日。
(ちなみに20代前半で美白に目覚めサーフィンを卒業。肌にシミだけが残りました… チーン)
先々週の日曜日、ハワイのオアフ島で起きた悲しい事故。
ライフガードのお仕事合間の休憩中に、サーフィンを楽しんでいたタマヨ・ペリー氏(49)。
(タマヨさん、男性です)
サメに襲われ、仲間のライフガードたちがジェットスキーで救助に向かったのですが、駆けつけた救急医療隊員により、死亡が確認されました。
タマヨさんの遺体にはサメに襲われた傷が複数あり、一部報道では片方の腕と脚が欠損していたそうです。
痛ましい事故ですが、サメさんたちも悪くないだけに切ないですな。
地球は人間だけのものではないですし、海はサメさんたちの生活圏なので、サーファーの方々もそれを分かってのサーフィンです。
何より大好きなサーフィンをしながらの最期だったと言うことが、せめてタマヨさん本人にとっての救いでありますように…。
と言うことで追悼の意を込めて、タマヨさんの略歴を簡単にご紹介。
地元の人たちやサーフィン界で、誰からも愛されていたと言うタマヨ・ペリー氏は、ハワイのオアフ島ノースショアで生まれ育ちます。
(うらやま)
波乗りを始めたのは12歳。
将来有望なサーファーになると当時から認められていたタマヨ少年ですが、決して裕福な育ちではなく、スポンサーもいなかったことから、サーフボードを度々借りてサーフィンするような環境だったそうです。
そんなタマヨ青年、サーフィンの神様と呼ばれたゲリー・ロペス(ジェリー表記は誤表記)と、レジェンド、トム・キャロルを足しで2で割ったような、チューブライディングスタイルを1997年に確立。
チューブライディングとは、大きな波でできたチューブの中を滑走する、サーフィンの技の1つのことであーる。
筆者はもちろん、体験したことがないのであーる。
1999年には、世界のトップサーファーたちが競う大会『パイプライン・マスターズ』を優勝したタマヨ・ペリー氏。
パイプライナーのレジェンド・サーファーとして、世界的に名前が知られるまでになりました。
2002年以降は映画『ブルー・クラッシュ』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』(海賊役)、人気海外ドラマ『LOST』、『Hawaii Five-0』(ハワイファイブオー)などに出演。
また日産エクステラやコカ・コーラのCMなどにも出演したことも。
2016年には『オーシャン・セーフティ・ライフガード・サービス』に入り、奥様のエミリアさんと共にサーフィンを教えたり、ライフガードとして勤務していたタマヨ氏。
まだ49歳のレジェンドの早すぎる悲報に、各界から追悼が寄せられております。
確かに早すぎますし、残された奥様のことを思うと胸が痛みますが、サーファーとしての功績や、その後の活躍、オアフのノースショアで海と共に生きた人生に、憧れる人も多いのではないかと思います。
どれだけ長く生きたかよりも、どう生きたかに意味がある…。
(なんちゃって哲学)
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